2009年07月16日

強運の人、西塚十勝

西塚 十勝(にしづか とかち、1912年7月10日 - 2006年12月23日)は、北海道出身の元日本中央競馬会(JRA)調教師である。元騎手で、大正時代から平成時代まで競馬と関わり続け、「中央競馬に西塚あり」とまで言われた競馬界の重鎮であった。
様々な災難を逃れてきた、驚異的な強運の持ち主であったことでも知られている。


◆◆強運のエピソード◆◆

関東大震災
1923年9月1日
横浜の奉公先で関東大震災に遭遇。
いつものように向かいの瀬戸物屋の商品がカチャカチャとぶつかり合う光景を眺めようと
道路に飛び出した途端に、

パン屋の1階部分が完全に倒壊し、西塚少年は寸でのところで難を逃れた。

洞爺丸事故
1954年9月26日
西塚は移動のため、函館から青函連絡船4便に乗船予定で切符も持っていたが、
知人に誘われて湯の川温泉での宴会に出席して、その4便洞爺丸に乗り遅れる。

洞爺丸は出港したものの、台風15号の強風によって七重浜沖で転覆し、
死者・行方不明者あわせて1139人という事故になったが、西塚は遭難を免れた。


ばんだい号墜落事故
1971年7月3日
同僚で友人だった柏谷富衛調教師(主な管理馬に天皇賞馬リキエイカン)と共に
東亜国内航空63便(函館行)に搭乗予定であった西塚は、車で待ち合わせ場所の
丘珠空港へ向かったものの、直前に知人と立ち寄った料理屋で女将が料理を失敗
(白米を炊き忘れる)するというトラブルに巻き込まれて出発が遅れてしまい、
宿泊の宿のことを考えていた。
それでも10分遅れで丘珠空港に到着すると、偶然にも飛行機はまだ離陸していなかった。
西塚は最初は搭乗しようとしたが(チケットは柏谷が持っていた)、
航空会社が既にキャンセル待ちの人を乗せてしまっていたのを見て
「一度乗せてあげた人を降ろしたらかわいそうだから」と搭乗を辞退し
(西塚は後年のテレビ番組で「巨人戦のナイター中継も見たかったしね」と語っている)、
札幌で一泊しないかと柏谷を誘うも、カウンターでずっと待ち続けていた柏谷は怒り、
「俺はお前ほど暇じゃないんだ!」と、一人でばんだい号に乗り込んでしまった。

「ばんだい号」は函館を前にして横津岳に墜落、柏谷を含む乗員乗客全員が
死亡する事故となった。西塚は難を逃れたが、柏谷をもっと強引に
引き止めておけばよかったと、晩年まで後悔の念を持っていた。


ホテルニュージャパン火災
1982年2月7日
夜、東京の常宿だったホテルニュージャパンの9階にチェックインし、
その後4・5人で新宿で飲み明かし、飲み終わったあと、ふと懇意にしていた女性のバーに
寄ることを思い付き、明け方までそこで過ごした。

明け方、永田町のホテルに戻ると大火災が発生しており、結果的に死者33人を出す
大惨事となっていた。もしもバーに寄らずにまっすぐホテルに戻っていたとすると、
寝静まった頃合に火災が発生していた計算になる。
出火場所は西塚がチェックインしていたのと同じ9階だった。




災難がある点では運がいいとはいえないですが、助かってるのは本当に強運ですね。
でものんびりというか、あまり気にしない性格がなければ危なかった。

ニックネーム なかのかな at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ( ゚◇゜ 雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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